はやて隊長、行っくよ〜!


というわけ後輩ちゃんと落ち合い、東京駅からはやて19号に乗って、まずは八戸へ向かいます。飛び石連休の合間もあって、座席は程よく混んでいます。今日は後輩ちゃんと大きいなのはさんと合わせて3人の道中ですが、新幹線の席はA・Bの2席しか取ってません*1。C席に来なければなのはさんを座らせようかと思いましたが、やっぱり来たので、C寝台という名の網棚に乗って貰います。で、C席の方は仙台の方らしく、地震当日の生々しい話しから、復興特需に沸いてるものの職人さんがいなくて作業が進んでない実態、はたまた夜の街の特需(笑)までイロイロな話しを聞くことができました。仙台で前述のC席の方を含めてかなり降り、C寝台のなのはさんを起こしてC席に座らせます。盛岡に到着し、ちょっと自重しない撮影をしたら、もう八戸に到着です。ここからは八戸線に乗り換えます。

 
左:東京駅で八神はやて隊長と1枚。行楽シーズン真っただ中の新幹線ホームだけあって混みあっていて、なにげにこのなのはさんも人気者に…
右:E2系の旅を楽しむなのはさん。今回も自重しないネタが盛りだくさんです

(以下、7日22時ごろに追記しました)
つい11ヶ月前まで新幹線と在来線の乗換駅として賑わっていた八戸駅ですが、今では一停車駅に過ぎず、当時ほどの賑わいは有りません。しかも、新幹線の改札を出ると自動的に改札を出たことになり、八戸線に乗るにはもう一度在来線の改札を通る必要があります。お弁当を買って改札を通り、12時19分発の種市行きが待つ1番線に向かいます。席は程よく埋まっていましたが、なんとか海側の席が確保できました。


八戸駅にいた「八幡駒」と一緒に。決して「まじこい」に出てくる松風じゃないですよ(爆)
 
左:八戸からはJRの飛び地・八戸線に乗り換えます。ちなみに、ここでリースの休日列車に乗り合わせる人とばったり会ったので、リースちゃんとも一緒に写ります
右:鮫までは意外と混んでいますが、鮫を出るとガラガラになります。車窓には太平洋が広がりますが、このあたりの震災被害は少なめです

発車時刻になり、一路種市を目指します。新幹線も止まる八戸駅ですが、市街地からは離れていて、中心街は八戸線本八戸駅周辺に広がっています。だからというわけでは無さそうですが、このあたりの八戸線は高架線で街中を通ります。そんな風景も鮫までで、鮫から先は海沿いをノンビリ走ります。このあたりは津波の影響も少なく、太平洋はいつも通りに穏やかです。約1時間で種市に到着し、ここからは代行バスに乗り換えて久慈に向かいます。


種市駅のホームから、今はまだ列車が行くことのできない久慈側を望みます。先には線路の終端をあらわす標識があって、ここから三陸の海岸沿いや福島第一原発周辺を含めて349.8kmが運転見合わせの憂き目に遭っています*2。いずれまた、このネットワークが復活することを切に願います
 
左:八戸線はJRの中でも最後まで腕木式信号機が残っていた路線でした。
右:代行バスに乗って久慈に向かいます。もちろん、シートベルト着用で(笑)

ハイデッカーのバスに7割程の乗客を乗せ種市駅を発車し、国道45号線に入ります。線路は国道と並走しているトコロも多く、時折錆び付いたレールを見ることができます。代行バスの停留所は国道と線路が並走している区間では国道上に、離れている区間は集落への細い道を通って鉄道の駅前まで乗り入れます。国道から離れた陸中八木駅付近は海沿いの集落にあり、このあたりが八戸線で最も被害の大きい区間です。橋が流出したり駅構内も津波を被った跡があったりします。ただ、逆に言えば大きな被害を受けたのがこのあたりだけで、他の国道からかいま見る八戸線のレールには被害が少なそうです。だからこそ、来年4月を目標に復旧させるという計画ができるわけで、これができると三陸海岸沿いの鉄道ネットワーク復旧に弾みがつきそうです。

 
左:ちょっと見づらいですが、真ん中に八戸線の踏切があります。しばらく主が通っていませんが、警報器などはきれいに整備されているようです
右:陸中八木駅付近の線路(橋)が流された個所。被害が海沿いのこの区間に集中しているようです

バスに揺られること約1時間、目的地の久慈駅に到着しました。ここから自重しない26時間(爆)の始まりです。

*1:当たり前といえば当たり前

*2:北リアス線→山田線→南リアス線大船渡線気仙沼線→(石巻線)→仙石線常磐線の広野まで