雪希は少ないけれど、お別れ乗車

「いなほ」は新潟を発車し、一路秋田を目指します。越後湯沢ではそれなりにあった雪も、新幹線に乗ってトンネルをくぐる度に無くなり、新潟市内では全くありません。「いなほ」に乗っていても、遠くに雪を被った飯豊山が見えなければ、ここが越後平野の北限と言われても気づかないほどです。「いなほ」車中でさっき買ったイタリアンを食べつつ、約40分で坂町に到着です。ここで米坂線に乗り換えです。
「いなほ」が着いたホームの反対側に、米坂線の13時34分発米沢行きが待ち構えています。列車はキハ47+キハ52の2輌編成で、乗客はさほどいませんがキハ52の方には鉄道ファンが多そうな感じ*1です。発車間際に学校帰りとおぼしき学生さんたちを乗せ、米沢までの2時間の旅が始まります。

 
左:今回のキハ52は128号車です。右:「日本国有鉄道」の文字も誇らしげな温度計です。丸く針で温度を示すタイプではなく、いたって普通の水銀で温度を表示するタイプです

越後下関までは平坦な道をたどり、その越後下関で学生さんを降ろすと険しい山道へ入り、雪が積もり始めました。さすがにハイパワーのキハ52と言えど、ゆっくりとした足取りで坂を登ります。一面真っ白とまではなっていないものの雪に覆われた小国で小休止し、更に歩みを進めます。手ノ子辺りが分水嶺なのか、その辺りから山を下りはじめ、足取りも軽くなってきます。今泉でキハ110+キハE120の試運転列車と交換し、世代交代の時期を間近に感じつつ、終点の米沢に到着したのでした。米沢駅の留置線にはキハ47+キハ52の2輌編成が2本いて、そのうち1本はタラコ色のキハ47+旧標準色のキハ52という、国鉄時代を彷彿とさせるような編成なのでした。

 
左:新潟色キハ52+キハ47の編成。この2両編成が米坂線の基本のようですが、キハ52が坂町側か米沢側のどっちに付いているかは、その時の運次第かも?
右:国鉄カラーに身を纏ったキハ52+キハ47の2両編成。この写真は駅前のバスターミナルから撮ったもので、遠く雪を被った吾妻山が見えます

米沢からはつばさに乗って帰ります。そろそろ400系からツリ目のE3系2000番台への置き換えも始まりつつある状況なので、ひとつ奮発してグリーン車に乗っていくことにしました。ま、ちょうど指定席券売機グリーン車の検索をかけたら3列シートだったので、400系だと確信を持った次第です。米沢を発車すると、すぐに板谷峠越えが始まります。さっきの米坂線よりも雪が積もっている感じを受けつつ、軽やかに峠道を進んでいきます。大沢・峠・板谷・赤岩とスイッチバックの跡を見ながら通過し、峠を駆け下りればかの有名な撮影ポイントでもある庭坂の大カーブです。そうこうしている内に福島に到着し、相方のMaxやまびこと連結し、ここからはバビューンと東京を目指します。

 
左:待っている間に「つばさ119号」が来たので、全景を撮ってみました
右:「つばさ122号」、米沢に到着です

*1:もちろん「駅長さん」含む